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農業高校からの国公立大学進学 大学進学から6年

日々のコト
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3度目の入学式

息子がO大学に入学して6年が経ち、先日4月4日には、O大学の令和3年の入学式が挙行されました。

新型コロナウイルス対策のため、会場に入れるのは入学生のみで、家族はリモートでの参観でした。
また、時間短縮のため、入学生一人ひとりの名前を呼びあげる学生呼名、来賓・教職員紹介、逍遥歌演奏なども省略されました。

息子は、大学院修士課程を経て、博士課程へ進学したため、これで、3度目の入学式になります。

大学院への入学者は、これまた、新型コロナウイルス対策のため、本会場の講堂ではなく、別会場の講義棟大講義室での参加で、本会場の様子が別会場に中継されるという2会場方式が採られたようです。

3度目の入学式を迎えた息子は、最初の入学式とは、また、違った気持ちで出席したことと思います。

60歳還暦と定年

私は私で、60歳の還暦を迎え、4月末で定年を迎えます。
いろいろ考えた末、延長雇用で今の会社で引き続き仕事をすることを選びました。

新型コロナウイルスの影響で雇用状況が厳しい職場もある中、会社が「残ってもいいよ」と言ってくれたこともありますし、息子の進学や家族の生活のため、まだまだお金を稼がないといけないという理由もあります。

これまで、

 「自分が還暦を迎えたら、定年退職したら…」

と、いろいろ想像していましたが、その日は、いままでの生活と変わらず、普通にさらりと流れていきました。

ちょっとした非日常としては、還暦のお祝いと人間ドックで目標体重をクリアしたご褒美も兼ねて、単身赴任の部屋で、セルフ祝いのフルーツタルトを食べたことくらいです。

息子の成長

息子は息子で、自分の進路については、いろいろ考えたり悩んだりしたのではないかと思います。

「ポスドク」という言葉もあるように、博士号取得後、研究職で大学に残るのは、なかなか厳しいことだとも聞きますし、一般企業に就職するにしても、学部卒の新卒者として入社するのと異なり、就職活動のハードルは高そうです。

ただ、たまに息子と話をする度に感じるのは、

 「ずいぶんと成長したなぁ…」

ということです。

以下の記事に書いたように、O大学を受験するにあたって、一緒に頭を抱えながら「志望理由書」を考えたのが、遠い昔のようです。

6年前に「志望理由書」を書いたときには、こんなに長く大学にいることになるとは、思ってもいなかったはずです。

息子は、農業高校からの進学だったので、以下の記事に紹介したように、普通科から一般入試で入学する生徒との学力差を補完するため、農業高校卒業生のために大学が用意してくれている特別なプログラムを受けています。

息子が入学した年、このプログラムの世話役担当をしていただいていたK先生と、先日、息子が大学の廊下ですれ違ったらしいです。

おっ!
久しぶり。

こんにちは!

えっ?
何でここにいるの?
ひょっとして進学?

はい。
博士課程に進むことになりました。

そうなんだ。
ここまで来たのか!
たぶん、農業高校から博士課程に行った人はいなかったと思うよ。
頑張って!

ありがとうございます。
頑張ります!

特別プログラムを担当していた当時、農業高校卒業生のテスト結果を見て、

 「なんで、こんな得点しかとれないの…」

と嘆いていたK先生も、びっくりしたと同時に、きっと嬉しかったはずです。

この様子を聞いた私は、息子がO大学を受験するきっかけとなった、以下「農業高校生のための大学セミナー」でのM先生の、

 「しっかり努力すれば、入学後も心配ない。きちんと成果は出るよ。」

の言葉を思い出しました。

息子がO大学に入学した年のオープンキャンパス。進学相談コーナーのM先生。
有益なアドバイスをもらえるはずなのに、その貫禄ある風貌から、M先生の席に相談に来る学生は少ない。もったいない。

一期一会

振り返ってみると、私もそうでしたが、息子も高校や大学で、その都度、力を貸してくれる友人や恩師に出会っています。

農業高校の「牛部」の仲間と。
農業高校の「牛部」の顧問、H先生。

そういった方々との一期一会やご縁を大切にし、出会った方々からのアドバイスや指導を謙虚に受け入れて、自分のできる範囲で精進することが大事なことだと、この歳になって痛感します。

以下、東村アキコさんのマンガ「かくかくしかじか」で描かれている日高先生のような恩師との出会いは、とっても貴重ですね、

使命感

また、息子を通して感じることは、息子の周囲には、使命感を持って仕事をされている方のなんと多いことか。

息子は、ウマに関係する研究を進めていますが、ウマの生産者さん、獣医さん、調教師さんなど、ウマに関わる仕事をされている方の中には、ウマ文化の継承に尽力されている方が多いです。

経済的に見ると、同じ家畜でも、ウマよりは牛を生産し育成することの方がビジネス的には効率が良いそうです。
ビジネス観点はとても大事なことですが、昔の北海道において、気候が厳しい中で開拓を進めていくには、ウマの力は必要不可欠だったはずです。

以下の記事で紹介したように、何度となく北海道を訪れて、いろいろな場所に出かけると、ついこの間まで、北海道の人とウマとの関係は、私には到底理解できない程、特別なものであったと感じます。

息子も、将来の進路については幾ばくかの不安も感じているとは思いますが、今の研究を続けるモチベーションのより所になるのは、先人の方々のような使命感のような気がします。

60歳になった私も、今の仕事を継続し、息子の研究を家族としてサポートすることで、間接的にでも、息子がお世話になっている北海道の地域活性に貢献できるのであれば、嬉しい限りです。


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