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ちょいプラ車中泊旅 大洲

キャンピングカー
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出身地の大洲へ

以下の記事で紹介したように、「TOY'S BOX 470H」で、私の出身地、愛媛県の大洲市の田舎に車中泊で帰省しました。
しばらく田舎に帰ってなかったので、母親の様子を見るのと墓参りが目的です。

久しぶりに帰省した大洲は、風情のある街でした。

大洲は、後日、2024年「グリーン・デスティネーションズ アワード」のシルバー賞を小豆島、飛騨高山と並んで受賞しました。
この記事では、大洲での車中泊の様子と大洲の魅力を紹介します。

夜の大洲の街へ

母親の自宅で夕食を済ませた後、久しぶりの夜の大洲の街を巡ってみます。

夜の大洲城

大洲は、6万石の城下町で「伊予の小京都」と言われています。
肱川のすぐ側にある城山には、2004年に復元された「大洲城」があります。
江戸期の木組み模型など豊富な資料が残っていたため、四層四階の複連結式天守が当時にかなり近い形で木造で復元されています。

まずは、夜の大洲城に行ってみました。

大洲城キャッスルステイ」を利用すれば、この大洲城天守閣に宿泊することもできます。

NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町

大洲城天守閣に宿泊するのは、さすがに敷居が高いと思われる方は、「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」を利用して、大洲の街に点在している歴史的な邸宅に宿泊することができます。

「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」のコンセプトは、

まち全体がまるごとホテルになる分散型ホテル

だそうです。
以下の写真は、私が夜の大洲の街を散策してあちこちで撮影したものです。

臥龍の湯

今晩の風呂は「臥龍の湯」です。

内湯、サウナ、水風呂、露天風呂、歩行湯があります。
別料金になりますが、岩盤浴もあります。

温泉ではないですが、肱川水系の水を使っているので、この地で育った私にとっては「水が合う」という表現がぴったりです。

湯上りに「白バラ フルーツオーレ」を飲みました。
美味い!

大洲まちの駅 あさもや

「臥龍の湯」を出た後、「大洲まちの駅 あさもや」に車を停めて、夜の街を散策します。
「大洲まちの駅 あさもや」は、「臥龍山荘」、「盤泉荘」、「おはなはん通り」などの見所にも近いので、大洲観光の拠点になります。
今回はパスしましたが、「臥龍山荘」は、是非とも行って欲しい場所です。

さすがにこの時間の「大洲まちの駅 あさもや」には、車は1台も停まっていませんでした。

翌日に撮影した写真になりますが、「大洲まちの駅 あさもや」の売店の様子です。
かなり狭い売店ですが、大洲の銘菓が購入できます。

個人的には、口の中でとろける「月窓餅」が一番のおすすめ、その次に「志ぐれ」がおすすめです。
「志ぐれ」は、ひらのや製造本舗さんが美味しいです。
「月窓餅」の村田文福老舗さんも、「志ぐれ」のひらのや製造本舗さんも、「大洲まちの駅 あさもや」から歩いていける距離に本店があるので、そちらで買うのが良いと思います。

おはなはん通り

おはなはん通り」は、江戸時代の町割と家並が残っている場所の通称で、昭和41年のNHK朝のテレビドラマ「おはなはん」のロケ地だったことに由来しています。

「おはなはん」以外にも、大洲では、「男はつらいよ 寅次郎と殿様」、「東京ラブストーリー」などの映画やドラマのロケも行われています。
「男はつらいよ 寅次郎と殿様」は、私が高校生だった時、高校の横でロケがあったので、出番待ちをされていた渥美清さんのすぐ横に並んで座って、スタッフが撮影準備をされているのを見てました。

おおず赤煉瓦館

おおず赤煉瓦館」は、大洲商業銀行の本店だった建物です。
両親が若かったときは、この建物のホールで、ダンスパーティーが開かれていたようです。
昔は、社交場や男女の出会いの場だったのかもしれません。

夜の街を1時間ほど散策したでしょうか。こじんまりとした街なので、思い出の場所をぐるっと巡れました。
懐かしさと共に、「この道、こんなに狭かったのか?」という記憶とのギャップもありました。

肱北河原

この後は、ずっと頭の中でイメージしていた「肱北河原」で車中泊です。

毎年、8月には花火大会があって、「肱北河原」から、3,000発の花火が打ちあがります。
小学生までは家族で行っていた花火大会も、中学になると友達だけで行くことを許されたので、もうワクワクです。
「肱北河原」の土手には、夜店がずらっと並び、夜店を端から端まで歩く途中で、好きだった女の子のいるグループとすれ違ったりすると、それだけでドキドキでした。

花火が上がる手前の川面には、うかいの屋形船がたくさん出ています。
うかい」ができる6月~9月に来て、屋形船で涼を味わいながら、仕出し料理で一杯やるのもいいですね。

記憶にある昔の「肱北河原」に比べてかなり整備されていて、頭の中にあるイメージよりも少しだけ快適な車中泊でした。

翌日

翌朝は、肱川の朝霧の中で目が覚めました。

大洲は、盆地の地形なので、肱川の水温と気温の差で発生する川霧が街中に立ち込めます。
川の向こう岸にある大洲城も霧にかすんでいます。
昼頃まで続く霧のために、お日様を見ることはできませんが、霧が発生した日の午後は、かなりの確率で快晴になります。

朝の大洲城

まず、朝の大洲城に行ってみます。

後日、アニメ映画「すずめの戸締り」を観たら、JR四国の鉄橋側から見た大洲城が出てきました。

桜の季節はこんな感じです。

天守閣のある城山から、肱川と大洲の街並みを見下ろした風景です。

如法寺

大洲城の後、早朝の冨士山に上がってみます。
冨士山は、「ふじさん」ではなく「とみすやま」と読みます。
上がってみると、霧が深く、数メートル先も見えない状況だったので、冨士山の麓にある「如法寺」に行ってみました。

「如法寺」は、大洲藩主、加藤家の菩提寺です。

私の弟は、高校時代にとあることで自宅謹慎になりました。
両親が共稼ぎの我が家では、自宅で監督ができないという理由で、弟は一時的に、この「如法寺」に出家されられていました。
私も高校からの帰りに、自転車で出家中の弟の様子を見にきたことがあります。

弟の朝のお勤めは、仏前にお茶や線香を供えることでした。
私が様子を見に来た夕方のお勤めは、朝のお供えを下げることと、鐘をつくことでした。

弟に「俺にも鐘つかしてくれ」と頼んで鐘をついたのが、この鐘撞堂です。

そんなご縁で、弟は、結婚式をこのお寺で挙げました。
仏前の結婚式に出席したのは、後にも先にも、この結婚式だけです。

私も大学の音楽サークルのOB会を、1泊2日、朝の座禅体験も含めて、このお寺で開かせてもらいました。

我が家のお墓があるお寺は、この「如法寺」とは違うお寺で、宗派も異なります。
にも拘わらず、父親が亡くなったときは、うちのお寺で上げた葬儀に「如法寺」の住職さんが駆けつけてくれて、住職の和尚さんと並んでお経を唱えて頂きました。

大洲高等学校

お墓参りとお墓掃除を済ませて、私が通っていた大洲高校に行ってみます。

「TOY'S BOX 470H」の奥の建物の場所には、当時は古い木造の建物が建っていました。
私が所属していたブラスバンド部の部室は、この古い木造の建物にありました。

中庭の様子は、昔と変わっていませんね。
この藤棚の下で、楽器の練習をしていました。

大洲高校の中には、江戸時代の儒学、陽明学者の中江藤樹の邸跡があります。
その場所には、「至徳堂」が建てられていて、誰でも自由に観覧できます。

高校時代の文化祭では、茶道部がこの庭園で行う野点で抹茶を飲んだりしました。

大洲城 三の丸南隅櫓公園(お殿様公園)

大洲高校を裏門を出ると「大洲城 三の丸南隅櫓公園(お殿様公園)」があります。
この場所には、大洲藩主、加藤家の末裔の加藤泰通さんが建てた建物があります。
建物の奥には、大洲城も見えます。

入り口の側には、青色ダイオードを発明してノーベル物理学賞を受賞した、中村修二さんの石碑が建っています。

この公園の建物にも、「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」で宿泊できるんですね。

福ちゃんラーメン

昼ご飯は、「福ちゃんラーメン」と決めていました。
元々は、今の店主のお母さんが、56年間、雨の日以外は毎晩、市役所の前に出されていた屋台の夜泣きラーメンがルーツです。

昆布や煮干しで出汁を取った、あっさり味の醤油ラーメンです。

私たち大洲市民にとっては、ソウルフードです。

伊予大洲駅

「伊予大洲駅」に行ってみたら、たまたま、アンパンマン列車がホームに到着しました。
アンパンマン列車で大洲に観光に来られた皆さんも写真を撮ってます。

「伊予大洲駅」の建物も改札も大きく変わってないです。

ホームの雰囲気も昔のままです。
向かいのホームには陸橋を渡って行くのですが、この陸橋も「すずめの戸締り」に出てきました。

冨士山公園展望台

霧もだいぶ晴れて来たので、再度、「冨士山公園」に上がってみます。

「冨士山公園展望台」からは、大洲の街が一望できます。
冨士山から見渡せる小さな街です。
頭の中では、小田和正さんの「マイホームタウン」の曲が、少し歌詞を変えて、

♪山に囲まれて ここで育った♪

と鳴っています。

西側には、「大洲城」も「大洲高等学校」も見えます。

北側には、私が通っていた保育所、小学校、中学校も見えます。

まとめ

久しぶりに帰省した大洲を改めて巡ると、なかなか風情のある街だと再認識しました。
今回は、「TOY'S BOX 470H」で帰省したので、念願の「肱北河原」で車中泊することもできました。

愛媛に観光に来られる機会があれば、少し足を伸ばして大洲にも来てもらえると嬉しいです。
大洲の隣にある、内子町もいいところですよ。

ルーツ巡り

久しぶりなので、自分の思い出の場所も巡ってみました。
観光地とは全く縁のない場所なので読み飛ばしてください。

昔の住まい

「福ちゃんラーメン」から近いので、高校3年生まで住んでいた昔の家の跡に行ってみました。

建物も、遊び場にしていた場所にあった、大きな庭石、百日紅、金木犀、柿の木も無くなってますね。

蔵だけは、変わらず残ってました。
親に叱られたとき、家を飛び出して、この蔵の軒下で時間をつぶしていたことを思い出します。

保育所

今も保育所に通っていた頃の記憶がしっかり残っています。
当時の雰囲気は変わってないです。
この道路の右側には、父方の実家があったので、両親の仕事が遅くなるときは、祖母が迎えに来てくれて、父方の実家で両親が迎えに来るのを待ってました。

よしの湯

父方の実家から近いので、家族とよく来ていた銭湯です。
まだ、そのまま残っているのはびっくりです。
私が風呂好きなのは、父親がちょくちょく市内のいろんな銭湯に連れて行ってくれた影響だと思います。
次は、「よしの湯」に入ってみたいです。

小学校

私が通っていた頃は、田舎にしては、生徒数が1,000名を超えるマンモス小学校でした。
私が入学したときには、写真の運動場の真ん中から少し手前に立っていた木造校舎で勉強しました。
小学6年生のときに、今の写真と近い姿になりました。

中学校

今振り返って見ても、中学生時代はとても楽しかったです。
勉強ができる子、走るのが早い子、絵を描くのが上手い子、歌が上手い子、といった風に、それぞれの生徒の個性や強み、多様性が尊重されていた中学校だったように思います。

校歌の歌詞もメロディーもおおらかで明るくて、今でも大好きです。
校歌の作曲者の芥川也寸志さんは、芥川龍之介の息子さんです。

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